2012年1月5日木曜日

CAPM実証の歴史

だいぶ話が逸れてしまったが、話をCAPMに戻そう。ここからはCAPMの実証研究の歴史を概観していく。CAPMの理論面だけ追うと、良く言えば非常に整然として体系的な、悪く言えば現実を置き去りにした机上の空論のような印象を抱く。ただし、それは後世の人間が体系的に整理した教科書の記載を読んだ際の印象であり、CAPMの実証の歴史を時系列に追っていくと、理論と実証がお互いに影響を及ぼしながら、ダイナミックに発展していく様子を感じ取ることができる。

CAPMの実証の歴史をざっと概観すると、以下のようなものだと思う。

まず、CAPMが確立される以前は、「どうやら、市場インデックスをファクターとして、シングルファクターモデルを構築すると、シンプルなモデルの割には、現実の証券リターンの動きを良く記述できる」という経験的な事実があった。CAPMは、こうした実証結果を理論面から裏付けるために考案されたという点は、当たり前のことではあるが、強調しておくべきことのように思う。

そして、CAPMが発表されたのが1960年代前半、その後1970年代前半までの初期の実証研究では、(人によって解釈は異なるだろうが)概ねCAPM成立に肯定的な実証結果が発表されていた。この時期の実証研究で最も有名なのは、Fama and MacBeth(1973)、Black, Jensen, and Scholes(1972)あたりだが、原論文を見ると、どちらもCAPM成立に肯定的な結論で締めくくっている。

そして、1970年代後半から風向きが変わり始める。ここからは、CAPMを巡る議論は大きく二つの流れに分かれるように思う。一つ目は、有名なRollの批判(1977)から派生する流れだ。Rollは、この世のあらゆる資産を含めた「市場ポートフォリオ」は理論上の仮想物で実際は観測不能であり、CAPMの実証は不可能だと批判し、その後のCAPMの実証研究の流れを変えた。

Rollの批判については、この「市場ポートフォリオは観測不能」という部分だけが一人歩きしている感がある。1977年の論文でRollがそう結論付けているのは間違いないのだが、この部分だけクローズアップしてしまうと、単なる「空気を読まずに王様は裸だと言ってしまった人」という印象になってしまう。「市場ポートフォリオ」が理論上の仮想物であることくらい誰しも気付いているが、そうした現実を単純化した箱庭を作ことで、複雑な現実を理解するための示唆を得ようとするのが社会科学ではなかったか。箱庭は、現実に実現可能か否かという基準ではなく、現実世界の一側面をいかに鮮やかに切り取ったか、という点で評価されるべきではないのか。

だが、個人的には、Rollの批判の核心と貢献はそこではない、と感じている。一言で言ってしまうと、Rollは、CAPM検証で重要なのは、「βと証券リターンの関係の検証」ではなく、「市場ポートフォリオの効率性の検証」だと言ったのだ。70年代前半までのCAPMの検証は、「まずβを推定し、その後にβのリスクプレミアムを推定し、理論と整合するリスクプレミアムが得られるか」という検証が中心だった。しかし、Rollの指摘以後。CAPMの実証研究は、「市場ポートフォリオの効率性を示す=切片項であるαが0であることを示す」という検証にシフトしていく。正確さを犠牲にしてセンセーショナルに表現をすれば、「βからαへ」という流れを方向付けたのがRollの批判なのだ。

そして、1970年代後半以後のCAPM実証の大きな流れの二つ目は、アノマリーに関する議論だ。Basu(1977)によっていわゆるバリュー株効果が報告されて以後、Banz(1981)の小型株効果、Jegadeesh and Titman(1993)のモメンタム効果など、CAPMと整合しない現象=アノマリーが数多く報告されるようになる。そうしたアノマリーを説明すべく、資産価格評価モデルはマルチファクター化していくことになる。例えば、Chen, Roll and Ross(1986)のマクロファクターモデル、Fama-French(1992)の3ファクターモデルなどが台頭することになる。

アノマリーの議論とマルチファクター化の流れについては、APTの部分で詳細に説明しようと思うので、今回はRollの批判をメルクマールとして、「βからαへ」というCAPM検証の流れについて説明していきたいと思う。

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