2011年12月31日土曜日

ファンダメンタルズで株価を説明することの困難さ

「株価で株価を説明する」という話に触れたので、ここで少し脱線をしたいと思う。いわゆる俗流のチャート分析などが典型だが、「株価で株価を説明する」理論や方法論というのは、ある種の胡散臭さが付きまとう。実務者、学者にかかわらず、市場に関わる人間が共通して抱くのは、「市場の外部である実体経済に根差した数字で、株価の動きを説明したい」という思いだと思う。

実態経済に根差した数字、というのは、マクロ経済指標、個別企業の財務情報、また消費CAPMのような理論であれば消費水準の変動を指す。こうしたファンダメンタルズで株価の変動を説明するのは、なんとなく地に足がついた感じがするし、マネーゲームではなく経済を回すのに貢献している気になるし、何より胡散臭くない。

この理屈は、一般に言われる「金融工学」的な分野と、経済学寄りの資産価格理論の違いを説明する際に良く持ちだされる。「金融工学」的な分野は、数理的な技法を駆使して市場内での価格間の関係の記述に特化した言わば便利な道具であるのに対し、伝統的な資産価格理論は、市場の外部の実体経済の要因からどのように価格が決定されるかを記述する。言わば、価格はどこから来るのか、という根源的な問いに答える分野である。(往々にして、この種の主張は、だからこちらの方が高尚なのだ、というニュアンスを含む)

2011年12月25日日曜日

リスクプレミアムはどこからくるのか(2)

「モデル」とはデータの入力と出力のフォーマットが定義されている箱のことだ。そして、「理論」というのは、入出力のフォーマットと、箱の内部での処理を記述したルールのことだ。箱をシステムと言い換えてもいいかもしれない。書名は失念したが、昔読んだシステム開発関連の本では、「そのシステムを理解するための最短の方法は、まずインプットとアウトプットの定義を把握することだ」という記載があった。ファイナンスのモデルを考える場合にも全く同様のことが言える。では、CAPMというモデルの入力と出力はなんだろうか?

入力データ:
この世に存在する全ての資産の期待収益率、現時点での各資産の真の価値、各資産の期待収益率の分散共分散、無リスク金利。

出力データ:
個別資産のβ、市場ポートフォリオの期待収益率。


入出力はこれだけだ。そして、各データ間には必ず以下のような関係が成立する。

個別資産の期待収益率-無リスク金利=個別資産のβ×(市場ポートフォリオの期待収益率-無リスク金利)

リスクプレミアムはどこからくるのか(1)

最後は、リスクの価格(リスクを負担することによって得られる対価)は外生的に(つまりCAPMのモデルの外で)与えられている、という点についてだ。これについても、同様の趣旨の記載を手もとの教科書から引用してみよう。この部分は少し長い。


全ての投資家は、同じ方法で証券を分析し、世界に対して同じ経済的見通しを有する。結果的に、彼らは、彼らが投資対象とする各種証券の将来キャッシュフローの確率分布に対して同一の推定を行う。つまり、どのような証券のセットであっても、マーコビッツ・モデル平面に埋め込む平均と分散のインプットは、投資家間で全く同じということになる。証券価格のセットと無リスク・レートが与えられるのなら、すべての投資家は、効率的フロンティアそして最適危険資産ポートフォリオを求めるうえで、同じ期待リターンとリターン共分散を適用する。この仮定はしばしば、均一期待あるいは同一意見と呼ばれる。
(インベストメント 第8版 第9章 CAPM 資産価格評価モデル)

CAPM(4)

二つ目の、「一期間」の期待効用最大化モデルである、という点について見ていこう。例えば、以下のような前提で投資家が意思決定を行っているのがCAPMの世界だ。

投資家は初期時点で100万円の資金を渡され、その全てを危険資産か安全資産のいずれかに投資しなければならない。そして1年後、全ての資産を換金して全額消費する。その後のことは考えない。現時点で、1年後の危険資産の期待リターンとリスクの予想を行い、1年後の消費から得られる効用の期待値を最大化するように行動せよ。

言うまでもなく、この前提は現実に即していない。我々の人生は他期間で、常に現在の消費の効用と、現在の消費を諦めて貯蓄や投資に回し、将来消費した場合に得られるであろう効用を比較し、人生全体で期待効用が最大化するように行動している。・・・はずである。

CAPMはそうした他期間のダイナミズムを敢えて捨象し、投資家の意思決定を単純な一期間のモデルに単純化したものだ。この単純化は自体は優れたモデリングの判断だと思うが、やや物足りなさを感じるのも事実だ。

CAPM(3)

まず、「投資家の効用関数に強い仮定を置いている」という部分について見ていきたい。この部分に関する記載を、手もとの教科書から引用してみる。

・全ての投資家は、平均-分散平面で最適化を行う合理性を有している。このことは、彼らが全員マーコビッツのポートフォリオ選択モデルを適用することを意味する。
(インベストメント第8版第9章CAPM資産価格評価モデル)

平均-分散平面で最適化を行う、というのは、期待リターンが同一であれば、最もリスクが少ない意思決定を行うということだ。マーコビッツのポートフォリオ選択モデル、というのは、合理的な投資家は、効率的フロンティア上の接点ポートフォリオと安全資産の2種類の資産を自らのリスク回避度に応じて保有する、というお馴染みのフレームワークのことだ。ここで重要なのは、「期待リターンが同一であれば、最もリスクが少ない意思決定を行う」という部分だ。

CAPM(2)

CAPMが優れている二つ目の点は、理論と実証のバランスが良いことだと思う。この点を理解するために、まずはCAPMとはどのような理論なのか振り返ってみる必要がある。CAPMの主要な結果は以下の2つと言っていいと思う。

・全ての投資家は、危険資産のポートフォリオである市場ポートフォリオと、安全資産の組み合わせのみを保有する。組み合わせの比率は、その投資家のリスク回避度に応じて変化する。市場ポートフォリオというのは、世の中に存在する全ての資産をその価値額で加重ウェイトしたポートフォリオのことだ。株だけの世界を考えれば、市場ポートフォリオ=TOPIX等の株価指数、と考えて頂いてざっくりとした理解としては問題ない。安全資産は短期金利をイメージして頂ければいいだろう。要は、合理的な投資家はリスク資産としては市場ポートフォリオしか保有しない、という結果。

・個別資産の期待超過リターンは、市場ポートフォリオの期待超過リターンとの連動性によって説明される。個別資産については株式の個別銘柄をイメージして頂ければよい。「超過」とつけたのは、安全資産収益率を上回る部分という意味だ。つまり、株式の個別銘柄の収益率は、無リスクで得られる短期金利分を除けば、全て市場ポートフォリオとの連動性であるβによってのみ決まる。それ以外のリターンの決定要因はない、という結果。

CAPM(1)

資産価格理論とは、ある特定の資産のリターンの発生原因を説明する理論のことだ。理論的には特に資産は株式に限定していないが、実証研究は株式で行われているものが主流なのではないかと思う。資産価格理論の中でも学術・実務双方で最も有名なのは、Capital Asset Pricing Model、通称CAPMだ。少しでも投資やファイナンスに関わったことのある人にとっては、改めて説明するまでもないシンプルなモデルだ。

私が初めてCAPMを知ったのは、証券アナリスト試験の受験勉強時だったと思う。個別証券のリターンは市場ポートフォリオとの連動性であるβによって説明される、という記載を見て、「なんだ、ただの単回帰か」と思って特に何の感銘を受けなかったと思う。TOPIXなどの株価指数は市場の景況感を表すので、その動きに個別株が影響を受けるのは直感的に当然のことで、わざわざ仰々しく理論にするほどのことでもないだろう、というのが率直な感想だった。素人目には、CAPMよりもデリバティブの価格付け理論のような物の方が「高度で知的刺激がある」対象であるように思えた。典型的な素人の感想であり、当時よりは多少ものが分かるようになった今振り返ると、若気の至りと言う他ない。

前置きが長くなったが、私は以下で、CAPMが何故革新的だったか、その説明を試みようと思う。一実務家の半ば思いこみに基づいた記載なので、当然学術的な厳密さはないし、網羅的でもないが、雰囲気が伝われば幸いだ。

システマティックリスクとアンシステマティックリスク

再び教科書的な定義の説明になるが、伝統的なポートフォリオ理論では、分散投資では消去できない、市場に参加する際に投資家が負担することになるリスクをシステマティックリスク、分散投資によって消去可能な個別銘柄固有のリスクをアンシステマティックリスクと呼ぶ。そして、リスクプレミアムが存在するのは、分散不可能なシステマティックリスクのみであり、アンシステマティックリスクにはプレミアムは存在しない。

リスクプレミアムというのは、リスクを負担したことに対する対価のことだ。つまり、世の中には報われるリスクとそうでないリスクが存在する。一般的にはCAPMを前提として、市場βに起因するリスク=システマティックリスク、それ以外=アンシステマティックリスクと表現することが多い。やや正確さを欠く表現になるが、株式という資産に資金を投下すれば、企業の生産活動によって生み出される利益の一部をリターンとして獲得することができ、このリターンは実体経済の裏づけのあるものであり、ゼロサムな収益ではない。一方でアンシステマティックなリスクを負担することでリターンが得られた場合、それは自分より技術的に劣る他の投資家から富を奪うことによって獲得した収益であり、その収益の総和は市場全体ではゼロとなる。

アクティブ運用とパッシブ運用(2)

アクティブ運用でプラスのαを獲得できるのか?という問題に対しては、多くの研究が行われている。正確さは犠牲にして結果を一言で言うとすれば、「一部のマネージャーが継続的にαを獲得することはあるが、それはごく少数で、しかも運なのかスキルなのかを識別するのは困難」という内容だ。従って、一般の投資家が事前にそうした優秀なマネージャーを識別して資金を預けることができると考えるのは現実的ではない。

これに対しては様々な反論もあり、例えば、標準的なアクティブマネージャーであってもαを獲得できる銘柄選定能力は確かにある。だが、制度や投資家から課せられる過剰な制約で分散投資を余儀なくされ、マネージャーの銘柄選定能力は希釈されてしまう。その結果αを獲得できていないだけで、制約を緩めてマネージャーのポテンシャルを引き出せばα獲得は十分に可能だ、という分析もある。答えが出ない問題ではあるが、こと伝統的な買い持ちのみのアクティブ運用に関しては、運用上の制約も多いし現実問題としてちょっと厳しいよね、というのが標準的な見方だと思ってよいと思う。

アクティブ運用とパッシブ運用(1)

アクティブ運用とパッシブ運用、という対立について改めて考えようと思う。資産運用業界で繰り返されてきた最もポピュラーな議論だ。何故いまこのような手垢のついた話を題材にするのか、その理由は幾つかある。先進国株式市場が右肩上がりで上昇する幸福な時代が終わってしまい、そもそも議論の前提が当初と比較して変化してしまっている。また、ヘッジファンドのような絶対収益型運用がこの10年ほどでポピュラーになったが、こうした運用手法は伝統的なアクティブ運用と同列において分析を行うことは困難だ。そして、伝統的なアクティブ運用とパッシブ運用の間隙を縫うような、「非時価総額加重型インデックス運用」「プロセスベース運用」といった第三のカテゴリーも台頭してきている。

近年のこうした変化を踏まえて適切に運用手法について記述するためには、アクティブ運用とパッシブ運用という枠組みは古びており、適切な道具立てではない。そのため、やや大風呂敷になるが、現状を適切に記述できる枠組みを模索したい、というのがこの文章を書く動機だ。特に結論は決まっていないので、蛇行もするだろうし、ひょっとしたら最後まで書き切れないかもしれない。