2011年12月25日日曜日

アクティブ運用とパッシブ運用(2)

アクティブ運用でプラスのαを獲得できるのか?という問題に対しては、多くの研究が行われている。正確さは犠牲にして結果を一言で言うとすれば、「一部のマネージャーが継続的にαを獲得することはあるが、それはごく少数で、しかも運なのかスキルなのかを識別するのは困難」という内容だ。従って、一般の投資家が事前にそうした優秀なマネージャーを識別して資金を預けることができると考えるのは現実的ではない。

これに対しては様々な反論もあり、例えば、標準的なアクティブマネージャーであってもαを獲得できる銘柄選定能力は確かにある。だが、制度や投資家から課せられる過剰な制約で分散投資を余儀なくされ、マネージャーの銘柄選定能力は希釈されてしまう。その結果αを獲得できていないだけで、制約を緩めてマネージャーのポテンシャルを引き出せばα獲得は十分に可能だ、という分析もある。答えが出ない問題ではあるが、こと伝統的な買い持ちのみのアクティブ運用に関しては、運用上の制約も多いし現実問題としてちょっと厳しいよね、というのが標準的な見方だと思ってよいと思う。

一方で、伝統的な時価総額加重型のパッシブ運用も多くの批判に晒されている。そもそも、CAPMでいう市場ポートフォリオというのは、世の中に存在するあらゆる資産を正しい価格で評価して、それを価格加重ウェイトで保有したものだ。「世の中に存在するあらゆる資産」には非上場株も不動産も存在するし、もっというと人的資産のようなとらえどころのないものも含まれる。それらを網羅するのは現実では不可能だ。また、「正しい価格で評価」という部分も、現実問題としては市場でついている時価を使用することになるが、この時価には多くのノイズが含まれており、時価をその資産の適性価格をみなすことは無理がある。

これらの点を考慮すると、市場ポートフォリオを株式の時価総額加重インデックスで代理させることには無理があるだろう。また、より実践的な問題として、多くの投資家がαの獲得を放棄して機械的にウェイトを決定するパッシブ型の運用を行った場合、市場の価格発見機能が損なわれ、市場はより非効率になり、その結果時価に含まれるノイズは増大し、株式インデックスは更に理想的な市場ポートフォリオと乖離してしまうだろう、という批判もある(この種の批判はだいたい、だからアクティブ運用には意義があるのだ、という主張が続く)。株式市場全体のリターンが振るわない近年、特にこの問題認識が強く語られるようになっている。近年台頭してきている非時価総額加重型のインデックス運用は、この問題認識の延長線上で開発されたものだ。

ここまでが、古典的なアクティブ対パッシブの対立の構図だ。ご覧のようにどちらも一長一短で、どちらに投資するかは最終的には信念や価値観の問題だ。両方ダメならせめてコストが低い方をと考えるならパッシブを、可能性は低くても夢を見たいのならアクティブを選べば良い。どちらにせよ、市場全体が右肩上がりであれば、どちらを選んでもそれなりのリターンが望めただろう。ただ、残念なから、近年、先進国においては「株式市場は右肩上がり」という前提が崩れてしまっている。そんな環境下、アクティブ運用とパッシブ運用、αとβという考え方も大きく修正を迫られていると言える。

0 件のコメント:

コメントを投稿