2012年8月18日土曜日

行動ファイナンスブームのその後

仕事でもないのに、しっかりとしたテーマに沿って記事を連載するなどということはそもそも私の性格では無理だ、ということに遅ればせながら気づいたので、思いつき型1話完結のエントリの数を増やす方針にしてみることにしました・・・。

今回は行動ファイナンス雑感。個人的な感覚では、行動ファイナンスが流行していたのは2000年代中盤あたりで、その頃には証券アナリストジャーナルといった業界紙で特集が組まれていたり、本屋で行動ファイナンスの入門書が平積みされているのをよく見た。

若手のファイナンス研究者の中には、既に上の世代が一通りつばをつけてしまっている伝統ファイナンスの分野ではなく、行動ファイナンスに領域をシフトした人も相応にいたのではないかと思う。

最近は、当時と比べると大分ブームが落ち着いたように思う。それは、良く言えば行動ファイナンス的なアプローチが浸透して半ば常識化したため、当初程は騒がなくなったということだろうし、悪く言えば、言う程革新的なアプローチではなく、結局伝統ファイナンスの現代的な拡張の一側面をクローズアップしただけだったのだ、と皆が気付いたということなのだろう。

行動ファイナンスは、「投資家センチメント(investor sentiment)」と「裁定の限界(Limits of arbitrage)」という二つの概念が核となる。この二つの概念が組み合わせることで、理想的な市場環境(摩擦のない市場、合理的な投資家)を想定する伝統ファイナンスでは説明困難だった、各種のアノマリーが説明可能となる、というのがセンセーショナルな行動ファイナンスの売り文句だと思う。

「投資家センチメント(investor sentiment)」というのは、これは入門的な行動ファイナンスの本でまず言及される概念なので今更説明は不要かもしれないが、オーバーコンフィデンスや損失回避といった、必ずしも経済合理的でない投資家の心理的なバイアスのことを指す。こうした投資家心理のバイアスが、証券価格を経済合理的でない水準に乖離される。通俗行動ファイナンス(と言うと失礼だが)で強調されるのは、主にこの「投資家心理学」とも言える領域だ。

この投資家センチメントによる説明は、実務家的な観点では直感に訴えるものがあるし、確かに、伝統ファイナンスでは捉えきれていない価格形成のメカニズムを捉えているとも言える。だが一方で、素人(アカデミックなファイナンスの訓練を受けていないという意味において)でも取っ付きやすいという特徴の負の側面として、この「投資家センチメント」を持ち出すと、非常に安易に(もっと悪い言葉を使うと安っぽく)価格形成メカニズムを説明できてしまうという点が挙げられる。

「投資家の非合理性」という概念はある種の万能の杖として機能してしまう。そもそも、まだメカニズムが解明されていない現象は非合理的に見えるものであり、筋からすると、まずすべきなのはその非合理的に見える現象の背後にある合理的なメカニズムの探索である。その努力を十分に尽くした後、最後に非合理性という概念を持ち出すべきだ。ただし、この「投資家の非合理性」という概念は、そうした十分な合理の追求がなされない状態で、安易に振りかざされる傾向がある。これが、比較的よく言われる行動ファイナンスに対する批判だ。厳密には、行動ファイナンスに対する本質的な批判というよりは、行動ファイナンス的な概念の不用意な濫用に対する批判と言うべきだが。

もうひとつの主要な概念である「裁定の限界」とは、合理的な投資家による裁定取引を妨げる市場の摩擦のことを指す。例えば、空売り制約により投資家が自由にショートポジションを取れないことに起因した価格の歪みの分析などが代表的な研究だ。証券価格を合理的な水準から乖離させる圧力である「投資家センチメント」だけでは価格に歪みが発生する原因としては十分ではない。市場が摩擦なく滑らかであれば、そうした歪みに対して裁定取引を行う合理的な投資家が1人でも存在すれば、価格は速やかに適正水準へと収斂する。価格が歪んだまま放置されるためには、制度要因等による「裁定の限界」の存在が不可欠だ。

こちらの「裁定の限界」の方は、「投資家センチメント」のような実態を伴わない漠然としたものではなく、空売り制度と株価の関係であるとか、税金や取引コストであるとか、具体的な市場制度や流動性の問題について分析を行うことになる。そのため、「投資家センチメント」の分析と比較すると、硬派で、伝統ファイナンスの延長線上で「市場の摩擦」に関する拡張を施す、といった側面が強いように思う。

新しい分野というものは、既存の確立された分野の不備を補う形で台頭するものだし、市民権を得るまでには伝統的な分野を仮想的として見立てて、パフォーマンス込みで大袈裟に攻撃を行うという側面がある。知名度が低い分野が市民権を得るための戦略として、ある程度はそうした行為が必要なことは理解できるし、致し方ないことだとは思う。

ただし、「行動ファイナンス」という分野が市民権を得る以前であっても、伝統ファイナンスの理論の拡張として、投資家の効用関数に経済合理的でない行動バイアスを織り込む研究であるとか、市場の摩擦を考慮した価格形成の理論構築といった仕事がなされており、今日の行動ファイナンスの研究もそうした先行研究に依拠した形で行われることが多いと思う。結局、ブームは去り、伝統ファイナンスの拡張という本来あるべき位置に落ち着いた、というのが最近の行動ファイナンスの位置づけなのではないかと思う。

最後に、行動ファイナンスについて語る場合、避けては通れない本質的な問題は、「実証の困難さ」だと思う。ファイナンスの理論を実証するためには、理論で表現されている重要な概念を代理する現実の市場で観測可能な代理変数を作成し、その変数と価格の関係を検証する、という方法が取られる。行動ファイナンスの場合、投資家心理といった代理変数の作成が困難な概念を取り扱うので、そもそも正確な実証のしようがないケースが多い。理論を実証する術を持たないという点は、現象の記述を目的とする学問としては致命的なウィークポイントだ。この点をどう解決するのかという点が、この分野の中心的な課題なのではないかと思う。

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