2012年6月24日日曜日

中長期の株式運用と流動性

機関投資家の運用において、流動性や執行コストの管理は、銘柄選択やポートフォリオのリスク管理などと比較すると、従来は必ずしも主要な関心事ではなかったかも知れない。ただし、2000年代に入ってからは、ある程度規模のある運用機関では、中長期でのポートフォリオ構築を生業とするファンドマネージャーと、短期での売買執行を主業務とするトレーダーによる分業が定着した。また、近年の(と言う程最近ではないが)アルゴリズムトレードや高頻度取引の普及で、短期での執行管理の重要性は一昔前よりも確実に上がっていると思う。

とは言え、中長期の時間軸での伝統的な運用を生業としてきた運用機関の場合、そもそも短期でのトレーディングを収益の源泉とするだけの技術力があるか、という問題がある。また、技術力云々以前の問題として、この種の短期的な「鞘抜き」を運用哲学として許容して良いのか、というより根本的な問題もある。資産規模が大きく、また公的な色彩が強く諸般の事情で制約の多い資金は、そもそもゼロサムな鞘抜きを収益源泉とするには不向きな資金であり、言い方は悪いが、わざわざ不利な土俵で戦うこともあるまい、という考え方もある。

また、「バイサイドトレーダー」という職種が日本で定着してもう10年以上は経過しており、各社ともに相応の経験値を蓄積していると思うが、この職種の位置づけというのはなかなか難しいところがある。トレーディングによる積極的な収益の獲得を行うフロント部門なのか、規模の大きなトレードを行う際に不可避的に発生するコスト(証券会社手数料のような明示的なコストから、市場インパクトのような直接観測しにくい見えざるコストまで幅広い)を抑制するのが職務なのか。つまりオフェンスとディフェンスのどちらに重きがあるのかは、恐らく組織や人によって解釈が異なる。

個人的な感覚では、「トレーディングによる収益の獲得」よりは「執行コストの抑制」という表現の方が良く耳にする。これは結局、ターゲットプライスと約定価格の差を「アルファ」と呼ぶのか「コスト」と呼ぶのかの違いであり、同じものを異なる側面から評価したものにすぎず、本質的な違いはないという説もある(私は昔そう考えていた)。ただ、このあたりの根本的なポリシーの違いは、今では非常に重要だと考えるに至っている(が、話が逸れるのでここでは詳細は割愛する)。

また、これは海外でも日本でも概ね傾向は同様だと思うのだが、もともとこの職種は、ファンドマネージャーへの権限の集中を緩和するために、コンプライアンス上の要請で作られた職種であるという側面もある。要は、銘柄選択を行う権限と、発注証券会社を選定する権限を同一職種が有すると、不正の温床となるリスクがあるということだ。また、フロント部門の売買関連事務を一か所に集約して効率的に処理したい、という要請もある。そのため、トレーディングというフロント系スキル以外にも、ミドル・バックオフィス系のスキルも要請されるという、広い守備範囲の職種である点も、この職種の難しさの一因であるように思う。

このように、伝統的なバイサイドにとって、トレーディング関連業務というのはなかなかに取り扱いが難しく、そうであるが故に将来の発展の可能性を秘めた分野であると言える。前置きが長くなったが、こうした背景を踏まえ、これから数回に分けて、「市場流動性」や「執行コスト」に関して記事を書いていきたいと考えている。モチベーションは以下のようなものだ。

・中長期の運用を行う運用機関であっても、短期での売買執行の技術力向上は必須である。トレーディングを収益源泉としない場合でも、大規模な注文を無造作に市場に出せば、高頻度取引を生業とするようなヘッジファンド等の格好のターゲットとなってしまう。守るためにも技術は必要。

・昨今、ティックデータの整備などで、株式市場のマイクロストラクチャーに関する実証研究を行う環境が、日本においても整備されてきた。何となくは触れる機会はあったが、一度真面目にサーベイしておきたい。


方針は変わるかもしれないが、主なネタ元にしようと思っているのは以下の本だ。この本を軸に、必要に応じて他の文献にも目を通しながら書いていきたいと考えている。

「株式市場の流動性と投資家行動 マーケットマイクロストラクチャー理論と実践」
早稲田大学大学院ファイナンス研究科(編)
太田亘・宇野淳・竹原均(著)


尚、本稿では、モチベーションや実務上の要請を説明するために「業界事情」的な記述を行うことがあるが、基本的にそれらは本屋で並んでいるアセットマネジメント入門系書籍に書かれているような、業界の平均的な姿をイメージして記載している。個社の事情を記載したものではない点、予めご了承頂きたい。あくまでも目的は、「実務家の観点からのマイクロストラクチャー関連の研究のサーベイ」である。また、記載は全て著者個人の見解であり、所属組織とは一切関わりはない点をお断りしておく。

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